還暦

約60年前 おおよそこんな生活

還暦のホームページを作りながら、「他人事? いいや自分の事」ふと幼い頃を思い出した
お祝いする側にはあまり興味のある話じゃないので還暦ちゃんちゃんこを売るページとして
役に立ちそうにないけれど、同世代の皆様には話が通じるかもしれません。

あくまでも 北九州地方の田舎の貧乏な家庭の火の回りと水回りの話です。

素掘りの井戸 

井戸の有る風景 井戸車 木製の水汲みバケツ
「アサガオにつるべ取られて」

 つるべ    夏、井戸に西瓜をつるして冷やし、食べたあのおいしさをとてもなつかしく思い出す。
         先端にバケツなどをつけたロープを井戸車という滑車に通し、水を汲み上げる装置。
         ロープの両端にバケツが結んであり、水の入った片方をあげれば反対のバケツが水中
         に向かって下がる、小さい子供には少し重かった。

手がかり 足がかり
         一般家庭に有る井戸はおおよそ直径90センチ位の穴大きさで掘り進む。その時の
         道具としては掘り進むためのスコップつるはしと 掘った土などを運び出すための
         滑車バケツあるいは麻袋など丈夫な入れ物および滑車をつるすやぐらなどである。
         スコップ、つるはしなどの柄は狭い井戸掘り空間での作業性から短く切り詰めてある。
         当然ながらバケツは水も土も入れるが麻袋は水は上がらない。使い分けが必要だ。
         手抜きされた井戸は下に掘り進むほどその直径が狭くなる。労力は少なくてすむが 
         水の貯まる容積が少ない。逆に下部を広く掘ってある井戸は運び出した土の多い分
         貯水量も増える。いつの時代も手抜きと、職人技は存在するようである。さて深い井戸
         の上り下りはどうするのだろうか?それほど長いはしごもないし、縄梯子など使うのも
         ひとつの方法であろうと思う。  しかしここからが美夜古の社長の大事な講義。
         井戸を掘り進むにつれて井戸の左右の壁に20センチほどの深さの横穴をおよそ
         60センチ間隔で井戸の底まで堀り込んでおくのである。このとき付けた穴に両手両足
         を広げ、うまく差し込んで移動する。この穴はロープが切れてバケツが井戸に落ちた
         時や井戸掃除の時など、井戸を上がったり下りたりするための大変重宝な穴である。
         この重要な穴のことを手がかり、足がかりと言う。 

七輪と羽釜 自在かぎと鍋 水筒
水溜になった
    五右衛門風呂
喜左衛門が撮影用に作ったもの

かまど    かまどはガスコンロなどなかった時代に食べ物など煮炊きする炊事場、火事場?
         三つくらい並んで有った。 大、中、小それぞれのなべの直径にあわせて作ってあり
         日常の煮炊きではたいがい間に合うのだが 祝い事など複数のなべ釜を使う場合
         ちょうどなべがはまるかまどがなくて困るときがあるのだが、それなりの生活の知恵
         があり、うまく解決をしている。天体観測を経験された方は思い出していただこう、土星
         の輪っかを。 あれとほぼ同じイメージと思っていただけば理解が早いと思う。鉄ででき
         た輪っかになっており いくつかのサイズ違いで壁などにかけてあった。大きさの合わ
         ないなべかまどにかけたいときなど、ちょうど都合の良いサイズの輪っかを取り出し
         それをかまどに さしわたし使う。近いイメージではカメラの”絞り”の働きと似ている。
         かまどのほかに くど と呼ぶのがあるが、くどは かまどより簡単なつくりで煙突も
         形の上では無いに等しい。
        かまどの横には消し炭入れ用にふたつきのつぼが有ってマキの燃え残り(おき)などを
        入れて とっておき 後で七輪の燃料に使っていた。火箸と 火吹き竹 も必需品である
        七輪の燃料には 豆炭、練炭、木炭 たどんなどで それさえもないときは木屑、小枝など
        燃やした気がする。たどんは 炭の屑を泥とこねて団子状にして日干しにしたものだった?
        備長炭など一般的に言われる炭焼き釜で作ったは俵入りで買い、土間の隅に立て
        かけ、必要に応じて取り出し、おもに煙を嫌うときなど使っていた。
        マッチは有ったが火打ち石も確か有った?だるまなどの描かれた柿渋塗りの赤い大きな
        うちわ も必需品。なべ敷きもあり 羽釜など底の丸いもの用にはわらなどでドーナツ状
        に作られていて、なべなど底の丸いものに都合の良いつくりだった。

へぐら    なべ、釜は 直接焚き火にかけるから 当然ススが付く、このススが何故か付きやすい。
        手、足や顔、服にいつの間にかついていた、黒くなった手でさわるとまたそこにつき、怒ら
        れた記憶がある。怒られついで思い出したが、よくちゃわんも割ってた。皿や大きめの器が
        割れると程よい形の破片をとって置き、なべ釜を洗うときに使う。なべ底に付いた黒いスス
        を こさ(そ)ぎとるときに大変便利な道具の代表だった。このなべ底の黒いススをへぐら
        あるいはへぐろ と言ってた。 夜遅く真っ暗な状態まで農作業など、いわゆる残業をした
        ときなどの表現に「へぐらした」「 へぐらする 」などの地方言葉も有る。日暮れのなまり
        言葉かもしれない。     

風呂     大きななべと表現しよう、呼び名は五右衛門風呂 鉄なべだから直接釜に皮膚が触れると         熱いので板など足で踏み沈めて入った。風呂沸かしは子供がする家の加勢の代表だった
        風呂やかまどで燃やしてできた灰も最後の役に立つ。洗剤などなかった「買えなかった」ので
        食器、肉など脂分を落とすのにたわしにまぶしてつかってた。あく抜きなどとして今も重宝。
        草木などの灰は燃えてしまうときれいな灰色状(?)で決して黒い燃えカスではなかった。
五徳

      

洗濯    たらい と 洗濯板  たらいは大き目の桶でブリキ製と木製があり、木製は水をいつも吸っている
       ため子供の頃は非常に重く感じた。洗濯板など使い込んだものは真ん中がくぼんでいたのを思い
       出す。いまどきの子どもは宮崎の鬼の洗濯岩など???。

物干し竿  今でも車で「さお屋〜さお竹〜」など鉄パイプを売って来ますが、もちろんその頃は正真正銘
       竹製で、孟宗竹は太くて重いので布団干し用、真竹は使い勝手の良い物干し竿向きの竹だった。

   

囲炉裏   囲炉裏は便利な暖房設備がない頃は周りを囲んで食事や会話など生活の中心だった。
        自在鉤など囲炉裏には付き物だが今では民芸品などしか見れなくなった。
              

枡      お米など穀類を計るのにどこでもあった計量カップだ。よく似た親子のことを{一升枡、五号枡
        などと言ってたよ!今では枡酒が有名かな?


昭和21年国内ニュース

1月1日   天皇の「人間」宣言、 神格化否定

1月4日   GHQ、軍国主義者・団体の追放を指令

1月19日   ラジオ「素人のど自慢」始まる 司会 宮田輝

2月17曰    新円切り替え

2月19曰     天皇、神奈川県など各地を巡幸

3月6日     憲法改正草案要綱を発表

3月15日   食物の恨みで歌舞伎俳優片岡仁左衛門一家皆殺し

4月10日     戦後初の総選挙行われる

5月3日    極東国際軍事裁判開廷

9月17日      住友家令嬢誘拐事件

11月3日     日本国憲法公布される


  本田宗一郎      自転車に補助エンジンを付け自転車オートバイを売り出す
  サザエさん始まる   夕刊 フクニチに連載開始
  映画           はたちの青春  始めて見るキスシーンに国民みな驚く
  野球始まる  
                プロ野球=近鉄 大学野球=慶応、早稲田   
                中等(高校)野球=浪華商業優勝 
  パチンコも盛んになる
  カストリ酒        密造酒ですが安くて大人気

  流行語大賞
「あっそう」昭和天皇    「ご名答!」ラジオ 話の泉  「オフ リミット」 進駐軍アメリカ


昭和22年ニュース

 2月 25日   買出しで満員の八高線の列車が転覆、死者174名
 4月  1日   学制が 6.3.3.4年制になる
 4月  5日  第一回知事、市町村長選挙
 4月 20日   第一回参議院選挙
 6月  8日  日本ダービー 復活
 8月  6日  広島で平和式典行われる
 8月 15日  民間貿易が制限つきながら始まる
12月 22日  改正民法交付 「家」制度が廃止される


    星の流に (菊池章子)    戦後の貧困の時代を表現する歌が共感をよんだ
     東京ブギウギ(笠置シズ子)  敗戦後の暗さから立ち直る元気がわいた歌です

宝くじ    それまで1等10万の宝くじが100万になって世の中びっくりしたそうです

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